音が大きいです。 お気をつけくださいね。
伊藤久男さんと言えば
「イヨマンテの夜」・・・
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wikipediaより
父たちの世代よりはずい分年上の方のようですが
10代の半ばから横浜で暮らしていた父は
S兄さんと慕っていた先輩やその仲間の人たちと
繁華街に遊びに行ってはよくいろんな歌謡曲を聴いていたそうです。
それはちょうど太平洋戦争真っ只中のこと
当時のことですから音源は蓄音機とラジオだけ。
その頃の伊藤久男さんは
その圧倒的な声量と歌のうまさで起用され
戦時歌謡といわれる歌をたくさん唄っていたのだそうです。
父の父親の影響もあって軍歌は許せなかった父でしたが
この伊藤久男さんの素晴らしい歌声には逆らえなかったようで
私たちが子供の頃にしょっちゅう「イヨマンテの夜」を口ずさんでいました。
戦意を高揚させる歌を軍歌というのでしょうから
この迫力ある伊藤久男さんのお声は
時代にマッチして軍歌にぴったりだったのでしょう。
天才ゆえの苦悩・・・
敗戦後、伊藤久男さんは戦時歌謡を多く唄った責任を感じて
疎開先に引きこもりお酒に溺れるようになったといいます。
再起不能と言われたものの周りはその才能を放っておかず
昭和22年映画の主題歌でカムバックし
その後、次々とヒットを飛ばして多くの名曲を残されたということです。
私が聴いたことがあったのは
この 「イヨマンテの夜」 と
軍歌そのものの 「暁に祈る」 だけだと思っていたのですが
今回いろいろ聴いてみて名曲といわれる素晴らしい歌を
たくさん遺していらっしゃることを知りました。
まさかあの 「あざみの歌」 が伊藤久男さんの歌だったとは・・・
天才ってこういう方のことをいうんでしょうね。
あれほど意気揚々と軍歌を歌いあげた人が
抒情歌をこれほどまでに唄っていらっしゃるなんて・・・
いろいろ聴いた中で私は冒頭の 「忘れ得ぬ人」 が一番好きでした。
こんな素晴らしい歌い手さんがいたことを
私より後の世代の方に伝えたい・・・
決して軍歌を肯定するのではありませんが
才能の素晴らしさとそのこととは問題は別だと私は思っていますから・・・
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